Auschwitz アウシュビッツ




ポーランドと言えば、アウシュビッツ。というのが、昔からの私の印象というかイメージでした。

「アンネの日記」に出会ったのは、小学校4年生の時でした。その頃まだ「アンネの日記」の存在は知らず、最初に私のお友達が見せてくれたのは「アンネフランクとその足跡」という本で、表紙にはアンネフランクの写真が載っていました。
私のお友達が言ったのです。「この顔って笑顔だけど、口元を隠すと笑ってる顔じゃないよね。これって心からの笑顔じゃないんだよ」と。
確かに口元を手で覆い隠すと、目は笑っていませんでした。なぜ友人がそんなことをしたのかわかりませんが、とても不思議に感じたことを覚えています。お互いにアンネフランクについて深い興味を抱いたのは事実で、以来、子供なりに同じような年齢のアンネフランクに関する本やテレビを読んだり見たりしたものです。
あまりに興味を持ちすぎたのか、一時は戦争恐怖症になり、その頃一緒に住んでいた祖母に「第3次世界大戦は始まらないよね、始まって欲しくないよぉ」などとよく尋ねていました。

それから十数年後に、そのアンネフランクが行かされたアウシュビッツに行って来ました。
とても暑い日でした。ぽんぽこは暑さには慣れておらず、ちょっと心配でしたが、とりあえず連れて行ってみることに。
ティヒからだと車で40分ほどで到着。
多くの観光客が来ていました。

収容所だった入口のゲートにでると、「ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)」と掲げられていました。ガイドブックには、「ARBEIT」の「B」のアルファベットが、上下逆さまに上のほうがふくらんでみえ、これは収容者が作らされたもので、せめてもの抵抗の証としてこう作った・・・と書いてありました。この写真では見えませんね・・・。





お天気が良かったせいか、外見は暗い印象はありませんでした。ですが1棟1棟の内部は、なんともいえない雰囲気でした。棟ごとに展示しているものは違うのですが、収容者から没収した生活用品が山のように積まれていたり(トランクやブラシ、くつなど)、なんと切られた髪の毛まで積まれていました。そんなの見たくない。



オットとぽんぽこ

とにもかくにも、ここにアンネフランク一家が収容されたんだ・・・と思うと、身につまされる思いがしました。

このアウシュビッツから2kmほど離れたところに「ビルケナウ」(第2アウシュビッツ)と呼ばれる広大な強制収容所があります。
門をくぐって鉄道の引き込み線がまっすぐ敷地内に入り込んでいました。どんな思いで列車に乗り込んでいたのかしら・・・。まわりはすべて有刺鉄線で囲まれており、収容所の建物もそのまま残されていました。棚のようなベッドで、みんな寄り添って眠ったのでしょうね。



              


今では多くの観光客でにぎわっていますが、みな深刻な顔をして見学していました。陽気だったのはぽんぽこだけ。
暗い過去の場所を見学するのって、心がドンヨリしてしまいます。でも私は機会があれば、もう一度行ってもいいと思っています。
なぜかしら。




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