ぽんぽこが、入院しました。今回は8日間・・・という、昨年の記録更新??
突然、熱性けいれんを起こし、意識が戻らず、救急車で運ばれました。そのまま入院となり、私もぽんぽこと同じ部屋で家に一度も戻ることなく看病の日々を送りました。

初めて「熱性けいれん」を経験したのですが、あの表情は今でも思い出すと恐ろしいです。
けいれんで死ぬことはない・・・とはわかっていましたが、本気で「死」というのを目の当たりにした気がします。そして今回のことは、すべて私の判断ミスでした。
基本的に解熱剤を使うことには否定的な私でした。いつもギリギリまで様子をみて使うようにしていたのですが、それが大失敗。
水分もよく取ってくれていたので、「夜、寝る前に、解熱剤を使うか検討しよう・・・」と思っていました。が、ぽんぽこの体力がもたなかったのでしょうね。午後5時23分ごろ、突然けいれんを起こしました。本当に怖かったです。

            A.あっ、けいれんだっ!!
         B.即入院
         C.最初の3日間
         D.最悪の金曜日(4日目)
         E.山は越えたみたい
         F.やっと平熱に
         G.退院へ向けて
         H.お家に帰ろうね
         I.余談







A.あっ、けいれんだっ!!


朝から様子がおかしかったぽんぽこ。熱とひどい咳と鼻水。
いつもだと1日ほど家で様子を見て、ドクターの診察を受けているのですが、この日は朝からいつもと違う感じがしました。
朝一番で予約の電話を入れ、すぐにドクターのところへ。「のどが赤いし、風邪だね。抗生物質(ペニシリン)と、咳の薬、鼻の薬をあげましょう」と言われました。「診てもらえてよかったね。薬を飲んだらすぐに良くなるよ」、そうぽんぽこに話して家に戻りました。
少し食べ物を口にし、薬を飲ませ寝かせました。午後オットから心配して電話が。「ドクターのところに行って来たけど、でもやっぱりいつもと違う感じがする」と私。これって母親の勘というものだったのでしょうか・・・。

お昼寝から覚め、しばらくテレビを見ていたぽんぽこ。「パンが食べたい」というので、オーブンで温めていました。私はぽんぽこがテレビを見ているので、クリスマスツリーの片付けを始めていました。
すると突然椅子に座っていたぽんぽこがビクンッと動いたのです。バランスを崩したんだろうと思い、「気をつけて」と言った途端に再度ビクンッ。「あっ、けいれんだ!」
すぐにソファに寝かせました。ものすごい表情のぽんぽこ。「時間、時間、時間を測らなくちゃ。何時だ?2・3分でおさまる?しっかりして!早くおさまって!!」と心の中で叫んだり、彼女の名前を呼びつづけたり。5分経っても、あの恐ろしい表情のまま。「お願い、おさまって!どうしたの?のどに何か引っかかってない(鼻づまりのせいで、ちゃんと息をしているかどうか確認しづらかった)?どうしたのぉ!!お願い、おさまって!」とそんな気持ちばかり。
オットに電話したいもののソファから落ちても困るし、いけないこととはわかっていましたが、けいれんしているぽんぽこを抱き上げ電話のあるほうへ連れて行きました。その場で寝かせ(それでもまだけいれんし続けている彼女)、オットに電話。「お願い、救急車を呼んで!けいれんしてるっ」と叫びました。彼も驚き、その場でローカルスタッフに救急車を手配するように話していました。「すぐに呼ぶから大丈夫だから」との返事。
やっとけいれんが治まったものの、そのまま眠ってしまったぽんぽこ。時間を見ると7分経過していました。
「息はしてる。心臓も動いてる・・・・あぁ〜、生きてる」。
なかなか救急車は来ないし、そのままぽんぽこと待っていることもできず、朝、診察してもらったドクターのところに電話を入れました。でもすでに閉まってて留守電に。失礼とは思いながら、自宅のほうへ電話をしました。息子さんが出たようで、英語で話すと理解してくれ、すぐにドクターに変わってくれました。
「おぉ、どうしたんだい?」とドクター。「娘が、けいれんになって・・・けいれん?けいれんって英語でなんて言うんだ??」。どこまでも落ち着くことができない私。「ちょっと待って、辞書、辞書」。なんとかすべてを説明したのですが、今度はドクターの言っていることが理解できない。なんだって?やっと理解できたのは、眠っているぽんぽこを叩いて起こしなさい・・というものでした。前に本で読んだのは「そのまま静かにしておくこと」のように思っていたのですが・・・。でもそう言われたので、叩いて名前を呼んでみたり、揺り動かしたり。が、まったく起きないぽんぽこ。「She doesn't wake up!!」と私。
ドクターは「今からそっちへ行くから住所は?」。

20分ほどして2人の救急隊員がやってきました。英語で説明したものの、理解しているのかどうか彼らの反応がいまいち。それに不安を感じていると、ドクターがやってきました。
すべてドクターがドイツ語で説明してくれ、「どうして解熱剤を使わなかった?」と聞かれました。
そうなんです。もっと早くに解熱剤を使っていればこんなことにはならなかったはず・・・。でもドクターは私を責めず、「大丈夫、大丈夫、明日には熱が下がるよ」と、おおらかに話してくれました。
ぽんぽこはぐったりしたまま目を開けようとしません。解熱剤の座薬を入れようとするのですが、うまくいかないようでした。
そのうち、救急隊員のひとりが「電話を貸して」といい、どこかへ電話をしていました。
「これから小児科医を呼ぶから、彼らと一緒に病院のほうへ運びます。今晩、病院で様子を見ましょう」とのこと。
急いで泊まる準備をし、「ご主人のほうに電話をして、落ち着いて帰ってくるように・・・と言いなさい」と、救急隊員とドクターに言われました。

15分後、小児科医が、もう2人の救急隊員とやってきました。
我が家は、6人もの大柄のドイツ人男性でごったがえし、小さいぽんぽこを囲んで治療を始めました。治療をしている間、ドクターが「今、けいれん止めの点滴をしているところだよ。大丈夫だよ。明日には良くなるよ」と、私をなぐさめてくれました。
でも、これは私の完全なるミス。解熱剤さえ使っていれば・・・。
オットもやっと我が家に到着。この日は雪で、しかもラッシュ時間。渋滞だったそうです。
ドクターが「ノープロブレム!」とオットに話した途端、彼は一瞬、泣き崩れました。あの精神力の強いオットが・・・。「ごめんなさい、私のせいだ。」

治療を終えたぽんぽこは、やっと目を開けました。声をかけても、まったく反応がない。「脳は大丈夫?」と聞くと、みんなで声を揃えて「ノープロブレム」。あぁ、本当に大丈夫なんだろうか。
私は救急車で一緒に病院へ行くことに。オットは自分の車で追いかけることにし、病院の場所はどこかを救急隊員に地図で聞いていました。
「運転して来ないほうがいい。タクシーでおいで」と言われていました。

小さいぽんぽこは、大柄のドイツ人に抱かれて救急車へ。手足は動かしているものの、意識はまだはっきりしていませんでした。
わざわざ来てくれたドクターにお礼を述べ、私も一緒に救急車に乗り込みました。外には病人を運ぶ救急車と、小児科医を乗せて来た「ドクターが乗っている」救急車と2台止まっていました。
ぽんぽこと一緒に小児科医も同乗。
「サイレンを鳴らせば少しは早く着くんだけど・・・」と言いながら、ほとんど鳴らさずに病院へ向かいました。
そして気がついた、「あっ、パンを温めていたんだ!オーブンの火を止めてない!」。
事情を話し、救急車の中からオットに携帯電話。
思い出して良かった・・・、後から聞いた話。「もう少しで火事になるところだったよ・・・」。





B.即入院

病院へ到着。とても静かでした。女性のドクターが現れ、「これから唾液?の検査(歯のウラを指差していました)と、血液検査をしますね」と言ってました。「今晩は入院しましょう。熱が下がれば明日にでも家に戻っていいですよ」とのこと。私はとても明日には帰れるとは思っていませんでした。そのときもまだ、ぽんぽこの意識ははっきりしていませんでしたから・・・。

入院手続きが済み、病室へ案内されました。
その前に、また別のドクターの診察が。「えーっ、この子、3歳なのぉ??」と驚いた表情。看護婦さんが病室に連れて行くのに、「あらぁ、軽いわ」なんて言いながら、ぽんぽこを抱っこして病室に運んでくれました。

病室は大きな2つのベッドがあり、「二人部屋なんだな」と思いました。
「彼女は大丈夫だから。あなたは、ここでゆっくり休んでね」と言われました。もうひとつのベッドは母親用だったのです。「すごーい、さすがドイツ。ティヒとは違う」と思いました。そのうちに看護婦さんが来て、「何か飲む?説明するから一緒について来て」と言われ、病棟の説明を受けました。コーヒーや紅茶はここにあるし、ミネラルウォーターもここで自由に飲んでいいから・・・とのこと。トイレはどこかなぁ〜??と思っていると、各部屋についていました。トイレ・バス・洗面所付。スッゴーイ。

少ししてからオットが荷物を持って現れました。「これから戻ってお弁当を持ってくるよ。何がいい?」
そっか、夕食をとっていなかったんだ。
必要なものをメモし、オットに渡しました。
数時間後、オットはおにぎりと数種類のおかずを作って持ってきてくれました。ティヒで入院したとき、食事に苦労したので、今回はオットがいてくれて本当に良かった・・・と思いました。

ぽんぽこはまだ眠り続けています。点滴のくだを通している機械の音だけが部屋の中で響いていました。
まだ今日は月曜日の夜。オットの明日からの仕事も気になり、家に戻るよう彼に言いました。

ぽんぽこの隣にあるベッドに横になった私。「私のことがわかるだろうか」とそればかり気になっていました。
真夜中に突然、「ママァ」という叫び声が。
私は思わず飛び起き、「ママだよ。わかる?ママだよ」と言うと、私の胸元をつかんで指しゃぶりを始めました(いつも寝るときの彼女のクセ)。私のことがわかったみたい?少し安心しました。





C.最初の3日間

朝になりました。何度か看護婦さんが来て、熱を測り(ドイツでは脇の下からではなく、肛門から熱を測るのが普通らしい。ちょっと驚いた。)、38度以上になると解熱剤の座薬を使っていました。
点滴は生理食塩水なのでしょうか。水分補給のような感じ。

ぽんぽこは目が覚め、点滴のくだにイライラしていました。機嫌も悪く、仕方ないか・・・とあきらめる私。
そのうちオットが朝食と、ぽんぽこのおもちゃを持って来てくれました。オットが入ってくると、ぽんぽこは「ダディー!!」と呼んで抱きつこうとしていました。オットも昨晩は意識のなかったぽんぽこだったので、この呼びかけはかなりうれしかったようです。
思わず私は涙ぐんでしまいました。

ちょうど部屋にはテレビがついていたので、テレビカードを買ってきてもらい、いつも家で見ているアニメをつけてあげました。
少し、ぽんぽこの機嫌も良くなり「やれやれ」と思っていると、看護婦さんが入ってきて、「けいれんした後は、テレビを見せないように」と注意されてしまいました。ゲーッ、ぽんぽこにテレビを見せられないなんて、これからどうすればいいんだ??ですが、脳に悪いのだから、それ以上続けるわけにもいきません。ぽんぽこに言い聞かせ、テレビを消すことに。かなり長い時間、ぽんぽこは怒っていました。
だったらもう寝るしかない!と彼女は思ったのでしょうか・・・1日中、横になっていました。

ドイツの特徴と言えるかもしれませんが、なかなか抗生物質を使いません。ぽんぽこは熱はもちろんでしたが、咳と鼻水がひどく苦しそうでした。ですが、ドクターの回診の時、ウィルス感染もしていないし抗生物質は必要ありません。自然に熱は下がるでしょう・・・と言われました。咳止めだけ1日2回飲ませ、あとは点滴と、38度以上になると座薬を使うという日々でした。

3日目、やはり熱は下がらず。咳と鼻水はひどくなる一方。でもドクターはそれに対して「肺炎も起こしてないし、水分をたくさん取らせれば熱も下がるでしょう」とのことで、まずは点滴をはずしてみることに。するとどうでしょう。それまで食事も水分も取ろうとしなかった彼女が、自ら進んで飲んだり食べたりするようになりました。
私も少し安心しました。
点滴のくだが外れたので、看護婦さんに病室のまわりを歩いてきてもいいか聞きに行きました。すると「廊下にはいろんなウィルスが蔓延しているから、このあたりを歩くのはダメ。でも外だったらいいわよ。鼻の通りも良くなるし。ただしちゃんと暖かい格好をさせてね。」
えっーー??外に出てもいい??ビックリしてしまいました。外はマイナス11度です。
さすがに外に連れ出す勇気はなく、自室にこもることにしました。
この日の夜は、オットもぽんぽこの様子を見て安心した様子。「今週末には退院できるだろう」と思っていました。





D.最悪の金曜日(4日目)

翌日、とにかく寝たがるぽんぽこ。熱もなかなか下がらず、咳と鼻水がさらにひどくなった感じがしました。
回診の時、「お昼までに水分を充分に取らなければ、再度点滴を再開します。がんばって水分を取らせてね。そうすれば熱も下がるから」と言われました。いろんな看護婦さんにも同じように言われ、なんだかショックで私はひとりで泣いてしまいました。
「絶対に水分不足だけのせいじゃない。咳もひどいし、鼻水がひどいせいで目も開けられないじゃない」と。
でも医療のことには素人の私。何も言うことができません。ましてや「抗生物質を与えてください」なんていえるわけもない。

彼女の機嫌も悪く、朝からずっと誰かが来ると泣いてばかり。若い見習い看護婦にも「どうしてそんなに泣くの」と半分叱った感じで言われてしまいました。本当に悲しかった。

お昼すぎ、点滴がまた再開されました。これにはぽんぽこもショックだったみたい。機嫌がなおいっそう悪くなってしまいました。熱も下がらず、今度は飲むタイプの解熱剤を与えていました。

私が元気がなく、疲れた表情(というより泣き顔?)をしていたせいか、ぽんぽこの担当看護婦を、見るからにベテランな感じの英語が堪能な人に変わりました。とても感じが良く、まるで母親のような対応で私も安心して彼女にいろんな話をしました。
そしてついに私は今までの思っていたことを彼女に打ち明けました。「今回のことは私のミスで、娘にこんな辛い目に遭わせてしまった。すべて私のせいなの」と涙しながら話しました。
「違うわよ。あなたのせいじゃない。子供の脳は未熟だからこういうことになってしまったの。けっしてあなたのせいなんかじゃないわよ」と。
「母親の仕事って、本当に難しいと感じました」と私。「そうね、やらなければならないこともたくさんあるし、それに母性も働くから、気持ちの上でも難しいこともあるかもしれないわね」というようなことを話してくれました。
午後4時。熱は39.7度に。再度、座薬の解熱剤を使うことに。でもその2時間後、熱は38度以上。
看護婦さんも困った表情をしだしました。点滴もしているから水分不足ではないし、どうして熱が下がらないんだろう??との表情でした。

ドイツ医療もこんなもん?と思いました。
咳もさらにひどく、鼻水がひどく出るものだから、目も開けられないぽんぽこ。本当に辛そうでした。
なぜ抗生物質が必要ないのか。自然に熱は下がるものなのだろうか・・・、だんだんと医療に対して不信感を抱くようになってきました。
オットに家から、以前使っていた鼻の薬と、胸に塗る咳止めの薬を持ってくるよう頼みました。いけないこととはわかっていましたが、黙ってみているのが辛かったのです。

そして夜中、熱を測るとまた38度以上。今度は寝ているぽんぽこの口に、飲むタイプの解熱剤を看護婦さんが入れようとしました。これにはぽんぽこも大泣き。そりゃそうだ。泣き叫び、暴れるぽんぽこ。思わず私は看護婦さんに「私がやるから、もうやめて」と言い、ぽんぽこを起こし、自分で飲むように大声で言い聞かせました。本当に辛かった。
ぽんぽこは苦しそうにその飲み薬を飲んでくれました。看護婦さんは部屋から出て行き、私とオットは泣き崩れました。
「どうして??私が変わってあげたい。どうして熱が下がらないの??」と、本当に涙が止まりませんでした。

心配そうにオットは帰宅。
私も眠れぬ夜を過ごすことに。その数分後、若いきれいな女性のドクターが現れました。
「また熱が上がりだしているので、もしかすると別のウィルスに感染しているかもしれません。これから血液検査をして、その結果次第では点滴によるものか、飲み薬になるか抗生物質を与えます」と言われました。
私は「私たちは日本人。日本ではすぐに抗生物質を使います。もちろんここはドイツのシステムなので私はそれに習いますが、私は娘には抗生物質が必要だと思います。どうか使ってください」と言いました。ドクターは笑いながら、「じゃぁ血液検査をしましょう」と言い、また寝ているぽんぽこを起こし、大泣きする彼女を抑えて血液採取してもらいました。
その1時間30分後、さきほどのドクターが来て、「問題はありませんでした。ウィルス感染ではなく、バクテリア感染です。抗生物質は使いません」とのこと。ショックでした。「抗生物質を使わない??それで本当に治ると思うの?」と。
ちょうどそのとき、またぽんぽこがひどく咳き込みました。
「ドクター、この咳がずっと続いてて、鼻水もひどいんです。」と私。
「いつから?」
「4日前から」
「ひどくなってる?」
「だんだんと悪くなっています」

ドクターは慎重に聴診器を当てていました。かなり長い時間。
そして「肺炎になっています。すぐに抗生物質を使います。明日(もう今日ですが)レントゲン撮影をしましょう」。
私はとてもうれしかったです。彼女には絶対に抗生物質が必要だと思っていましたから・・・。そして鼻の薬も使い始めました。しかも私が持ってきたのと同じものを。
午前3時ごろ、抗生物質が点滴と一緒に使われました。1回15ml。8時間ごとのようです。

「がんばれ、もうすぐ薬が効いてくるからね」とぽんぽこをなぐさめ、長い夜が明けました。

翌朝8時に、また38度以上の熱。また座薬を入れられました。
それでも咳をする回数が格段に減り、私は「これで回復する」と確信していました。





E.山は越えたみたい

朝になり、おでこを触るとまた熱くなっていました。また座薬。
ぽんぽこは、肛門から熱を測ったり、座薬を入れられたりするのが苦痛の何ものでもない様子でした。毎回そうされるたびに「いたい・いたい」と泣くので、見ているこっちが辛かったです。
でも、抗生物質を使い始めた途端に、本当に咳をする回数が減りました。鼻の薬も効いているようで、以前のような目も開けられない表情はしなくなり、私は「これで治る!」と確信していました。
以前、ポーランドで入院していたころ、この「確信」がなくいつも不安でした。「母の勘」なのでしょうか、これがポーランドにいるときには働かなかったんですよね。今回とは私の気持ち自体が違いました。ドイツ・・・という国を信頼していた面もあれば、疑問に思ったこともあり、それでもぽんぽこが元気になってくれればそれで良い・・・という気持ちでいっぱいでした。

朝9時頃、オットがラジカセを持って来ました。「テレビも見れないんじゃ、かわいそう」と言い、たくさんのCDを持って来てくれたのです。ぽんぽこの表情のよさに驚いている彼。夜中の出来事を話し、「早く抗生物質を使ってくれたら、こんなに長く入院することもなかったんじゃない?」とオット。本当にそうだったかもしれません。でも前にも書きましたが、医療のことには素人の私たち。ドクターのやることに口は出せません。

食欲も出てきて、水分も取るようになりました。
看護婦さんにレントゲンのことを聞くと、「午後からドクターが来るから、診察をしてみて必要かどうか判断します」とのこと。
午後4時ごろ、また別の若い女性ドクターが部屋に来ました。聴診器をあて、いつもだと泣き喚くぽんぽこがおとなしくしているのに、看護婦さんもビックリ。咳も少なくなったことを話すと、「抗生物質が効いてきたのね。このまま続けましょう。レントゲン撮影は必要ないと思います。鼻の薬は鼻の中が乾きすぎるのでもう止めましょう」とのこと。

熱は37度台をキープ。入院して以来、座薬を使わずに過ごせたのはこの日が初めて。
オットは「山は越えたようだな。今晩は安心して寝られそうだよ」
私も同じ。3人でベッドの上で寝たり、遊んだりして過ごしました。
オットも今週はまったく仕事にならなかったでしょう。ローカルスタッフにも迷惑をかけました。






F. やっと平熱に


日曜日の朝になって、やっと平熱に戻ったぽんぽこ。長かったです。本当に長かった。咳もかなり減りました。昨晩は静かに眠れていたようです。看護婦さんが夜中に2回、見回りに来ていましたが、なにをするでもなく熱があるか確かめて部屋を出て行ってました。
部屋のまわりを、チョロチョロと歩きたがるようになり、オットと風船で遊ぶまでになりました。

午前中、また別の今度は若い男性のドクターが診察に。「点滴をはずしましょう。水分を多く取らせるように。抗生物質はもうしばらく続けましょうね」とのことでした。
ぽんぽこは普段から水分を取らないほうなので、毎回この水分補給に悩まされるのです。
ぽんぽこも大きくなり、だいぶ言葉が理解できるようになってきているので、それこそ「チョコレートを食べたかったら、これを飲んだらあげる」とか、「○○をしたかったら、これ全部飲んだらやってあげる」とか、そんな感じで与えていました。

1日の水分量をちょっと多めに看護婦さんに申告し(ごめんなしゃい)、表情もふつうになってきたぽんぽこ。
テレビのない生活にも慣れ(オットは『もう見てもいいんじゃない?看護婦さんに聞いてみれば?』というのだが・・・)、おかげで集中して絵本を見るようになり、お絵かきにとにかく夢中。トイストーリーのバズやウッディーを何度描かされたことか。
それでも笑顔で、私たちと接することができるようになったことは、本当にうれしくありがたかったです。





G.退院へ向けて

月曜日の朝、回診に来たドクターが、「そろそろ帰りたいでしょう。今日、脳波の検査をしてそれで問題がなければ、帰宅することを考えてみましょうね」と言われました。脳波の検査は何時にするのか明確ではなく、看護婦さんから検査の前には、ぽんぽこを寝かせないように注意されました。「だったら午前中のうちにしてください」と頼みました。

この脳波の検査で、もし異状が出たとすればどうなるのでしょう。私はずっとけいれんの後に、ぽんぽこを叩き起こそうとしたり、揺り動かしたことが脳に何らかの異状をもたらすのでは・・・と、気になっていました。ぽんぽこのドクターに電話でそうするように言われたので行った行為だったのですが、やはり日本の本を読み返してみると「安静にさせておくこと」と書かれていましたし、英語が堪能の看護婦さんに聞いてみたら、「あなたはどっちが正しいと思う?そうね、静かにさせるべきだったわね」と言われていました。
もし検査で異状とでたら、「私のせいだ・・・」。

思ったより早く脳波の検査に呼ばれました。
部屋からぽんぽこのベッド持参でした。「けっこう大掛かりな検査なのかしら・・・」と、ちょっと不安。
検査室は静かなところで、いろんなおもちゃやお人形が飾られていました。
ぽんぽこはそれまで診察には極めて非協力的でした。今回も大暴れをするんじゃないかと心配していました。ところが、信じられないくらい黙っているではありませんか。頭にたくさんのゴムバンドや、クリップをはめられているのに黙って手元にあるオルゴールのおもちゃを眺めていました。あのゴムバンドをはめられた姿を写真に撮りたかった(笑)。
5〜10分ほどかかったでしょうか。脳波がどんどんとプリントアウトされてきました。異状なのかどうなのか気になる私。

検査も静かに済み(ホッ)、部屋へ戻りました。検査してくれたドクターに聞いたところ、英語があまりわからない様子。とりあえず「ノープロブレム」と言われました。本当かなぁ??「ノープロブレム」というのだから、今日の午後には帰れるかも!!と期待してしまいました。
ところが待てどくらせど看護婦さんが来てくれない。ぽんぽこの左手には、まだ点滴の針が入ったまま。
やっと看護婦さんが部屋に来たので、「検査結果は?」と聞くと、「明日にわかる」とのこと。
「エーッ、明日なのぉ??」と、かなりショックを受けた私。本当にショックでした。ここって病院なのに、脳波検査を見るドクターがいないんだろうか。外注するんだろうか・・・と、期待していただけにショックは大きく、ぽんぽこと一緒にお昼寝することにしました。
あぁ、がっかり・・・。

午後3時、また抗生物質の点滴に看護婦さんがやってきました。
そして「脳波の検査は、問題なかったわよ」とのこと。
「ヤッター、良かったね」と、ぽんぽこの頭をなでました。
抗生物質の点滴は30分ほどでいつも終了。終わったあと、針の入っているぽんぽこの左手がぬれていることに気がつきました。もれているのでは・・・と思い、ナースコールを。
看護婦さんは、「あらあら・・・」と言って、一度部屋から出て行き、「きっと替えの包帯を持ってくるんだろうな」と思っていると、小さく切られたティッシュを持ってきて、「ほらっ」と言いながら点滴の針を抜いてくれました。
「終わったの?」
ぽんぽこは事の次第が理解できず、泣いていましたが、看護婦さんがいなくなった後、自分の左手には何もないことに気がついてとても喜んでいました。良かったね、少しづつ家が近づいているね。





H.お家に帰ろうね


翌日、回診の時を楽しみに待っていました。ドクターは「私が判断するのではなくて、私のボスが判断することなの。でもきっと、えっと、なんだったかしら、あのね・・・」と考え込み始めました。ドイツ語でなにやら看護婦さんと話すドクター。私は少し不安になってきました、「何を言ってるの?何を言おうとしているの?」。しばらくドクターは考え込み、「そうそう、彼はきっと『同意』するでしょう(agreeという英語が出てこなくて考えていたみたい)」。
20分後、彼女のボスと言われる男性ドクターが現れました。日本でいうなら小児科部長みたいな人??かしら。
「家に帰ってもいいですよ」と言われ、「ヤッター」と飛び上がった私。「長い滞在でしたね。」と言われてしまいました。
ドクターに「娘を助けてくれて本当にありがとうございました」とお礼を言い、握手をして彼は出て行きました。

それからオットの迎えをずっと待つ1日でした。タクシーで私たちだけ帰ることも考えましたが、思った以上の滞在だったため荷物がかなり多い。早く戻りたいものの、結局オットが夜に来てくれるまで部屋で待つことにしました。
入院してから、こんなに1日が長く感じたことはありませんでした。
それは、ぽんぽこが元気になったからでしょう。それまではぐずるぽんぽこをなだめたり、寝かせたり、熱を測ったりなどなど、それなりに忙しかったように感じます。
長い長い1日を、オットがお迎えに来てくれたと同時に終わりました。

やっと家に帰ることができました。8日ぶりの我が家。
ぽんぽこは早速「テレビ、つけて」。「だめだめ、今日は我慢して、明日にしよう?」となだめ、オットとビールで乾杯。

ふとホールを見ると、ぽんぽこの診察したときのままであることに気がつき、再度そのときのことが思い出されて胸がつまる思いでした。針が入っていたと思われるプラスチックケースや、治療の時に使われた痕跡があちこちにあって、手にするたびに辛く悲しかったです。





I.余談

入院中は、部屋がタイル張りのせいか、足元からかなり冷え、私は3日間、ずっとお腹をこわしていました。その気持ち悪さと寒気との戦いでの看病でした。せっかくオットが作ってくれたお弁当も一口も口にすることができず、ただただ水分を取るだけ。ぽんぽこの看病をするのに、コートを着たままでした。
自分がそんな状態なので、一度だけ弱気になり「明日の土曜日はオットに変わってもらおう。ゆっくり温かいお風呂に入って休みたい」と考えたことがありました。でもぽんぽこの寝顔をずっと眺めていると、「私のせいでぽんぽこをこんなふうに苦しめているのに、私だけ『ゆっくり休みたい』なんてとんでもない。最後までしっかり私が面倒をみなくちゃいけないんじゃないの?」と自分に問いかける自分がいました。
心の中で会話している自分って初めてだったかも。
そのうち弱気だった気持ちがフッと飛んで、「ママがついてるから大丈夫よ」と、ぽんぽこに話しかけました。
無事にぽんぽこが元気になって本当に良かった。

そして今だに疑問なのが、なかなか抗生物質を使わないということ。他の日本人たちもよく口にする言葉です。ある日本人女性はドクターに「抗生物質をください」と言うと、「ぼくも咳が止まらなくて、もう1ヶ月になるよ」との返事で、結局くれなかったそうです。
そんな中で、ぽんぽこのドクターはすぐに抗生物質のペニシリンを処方してくれます。これって珍しいことなのかもしれません。
確かに抗生物質は良い面と悪い面の両方があります。使わずに済むならそのほうが良いのかもしれませんが、子供って体も小さいし、悪くなるときには一気に悪くなってしまいます。早く治すためにも、抗生物質って特に小さい子供には必要なんじゃないか・・・と、素人考えですがそう感じました。
それともうひとつの疑問。ぽんぽこの状態が悪くなり、夜中に女性の若くてきれいなドクターが血液検査をしました。そのときにこう言ったのです。「彼女はウィルスによる感染ではなく、バクテリア感染です。ですので抗生物質は使いません」って。私はショックを受け、愕然としたのですが、その直後肺炎を起こしかけてるから・・・ってことで、抗生物質が使われました。それで確実に良くなっていったぽんぽこ。
このウィルス感染とバクテリア感染の違いもよくわからないのですが、退院してから、いつもの日本人小児科医のO先生に連絡をしました。すると「逆ですよ。ウィルス感染では抗生物質を使わないけど、バクテリア感染では抗生物質を使うんです」と。うそ、私の英語力はとってもPoorだけど、絶対に聞き違ってない。その数日後、いつも診察してもらっているぽんぽこのドクターのところへお礼がてら訪れたところ、彼も「逆だよ」と言われてしまいました。ドクターは「感染症は感染症だから、どちらの場合でも僕は抗生物質を使うけどね」と。
両方のドクターに「よくなったからいいじゃない」で話しは終わったのですが。
でもどんなに思い返しても、私は聞き違ってなんかいない!と確信して言えます。でもそんなこと間違って患者に話すだろうか、私の聞き違い?いや、違う、絶対に!!
まぁ、いっか、忘れようっと。

今回の入院で、ありがたかったのは、私にもちゃんとしたベッドが与えられ、食事も親の分も3食つきました。朝食と夕食は硬い冷たいパンに、チーズとハム・・・という簡単なものでしたが、それでもないよりマシ。
でもやっぱりオットが毎日差し入れてくれる「おにぎり」のほうが、ずっと食欲をそそりました。日本人ですね。
ぽんぽこも、オットが作ってきたチャーハンやそぼろご飯をおいしそうに口にしていました。
「マッシュポテトよりも、ご飯が一番」とつくづく感じました。

バス・トイレ・洗面所が各部屋についていたのも良かったです。
どういうシステムになっているのか、すべての部屋が満室になることは1度もありませんでした。日本だと考えられないことでしょうか?
ぽんぽこのいた病棟は親も一緒に泊まれる部屋ばかりで、他の病棟は子供たちだけだったり、いろいろあるんでしょうね。
看護婦さんに「ウィルスがあちこちにあるから、あまり廊下を歩き回らないように」と言われていたので、まわりの病棟へ行かなかったのでわかりませんが、4階まである大きな子供専用の病院だったので、いろんな部屋があるのだと思います。
面会はそれこそ夜中でもOKだったし、いつ来てもいつ帰っても良いようになっていました。日本のような面会は午後7時まで・・・とか、消灯は9時などの決まりはなく、寝る時間も起きる時間も自由(これはポーランドでも同じでした)。
今思うと、看護婦さんの出入りも少なかったかもしれません。マイペースの看病ができたかも。

長い文章になってしまいましたが、自分を戒めるために書きました。絶対にこのときの気持ちを忘れちゃいけない!と。

ぽんぽこ、ごめんね。今回のことは全部ママの責任。苦しかったね、がんばったね。
これからはぽんぽこの健康管理にもっと注意するからね・・・、と我が家で眠るぽんぽこに誓いました。




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